青い瞳

青い瞳11/7昼・夜、11/8の公演を観劇してきました。
あくまで、一個人の感想。

登場人物それぞれが
「真実にしたい理想」(以下略して理想)と「現実」
というものを持っている。
そしてそれを各々主張する事で、少しずつズレが生じて歯車が噛み合わなくなっていく。少しずつそれぞれが狂い始める。

戦争という一つの大きな出来事を通して、人々が求める理想(=平和)と真実(本当の平和は訪れないetc)がぶつかり合う。

ツトムは前半「真っ白な人」という印象。
帰還し、何が正しいのか何が間違っているのか。それを探し求めている。
戦争中と戦後では「正」の意味が変わってくる。例えば戦争中は敵を殺せばそれは正しい行為だけれども、戦後ではそれは間違った行為になる。みたいな。
幼少期→戦時中→戦後と定義が変わり、ツトム自身がその混乱の渦に飲み込まれ、思考が真っ白になっている。もしくは幼い子どもに戻っている状態

サムが言う「ゼロか……なんだかこわいな…」は真っ白だからこそ、何色にもなれる。つまりは何者にもなれてしまうからこそ、こわいのかもしれない。と。
前半、ツトムの母が話していた話を後半ツトムがミチルにしているのは、思い出したわけではなくて、母によってツトムの中に書かれたツトムのエピソード。
そこから描き出された「ツトム」と「ミチル」。
しかしミチルはこのツトムが描いたミチルを否定する。それはミチルにとっては「理想」では無くて「現実」だから?

ツトムが求める平和は、他人が作り出す自分になりきること?

ミチルは平和を求めているのに、目の前でその平和がどんどん壊れていく。
無意識のうちに、持っている「理想」を押し付けてしまっていたのでは?
ブランコを見捨てる事は出来ないのは、ミチルの求める「理想」はそこにしか無いと思ってるからなのかな。
1人家庭に歩むシーンは、ブランコに求めていた「理想」が壊れ(サムは迷いながらもミチルの手を取らず、破滅の道を選んだ)、「現実」に戻るということ?
今度は家庭に「理想」を抱き始めたのかな…

サムはとても頭の良い人で、物事を深く考えている。
だからこそ、ツトムの話を深く考え読み取ろうとし、自身を次第に狂わせていったのでは。
ミチルへの想いは本物だと思うけれど、ツトムとの出会いでそれが次第に周囲によって作られたものであり、他者が描いた真実にしたい理想なのではないかと疑っているように思えた。
サムもまた「理想」を求めて、別の地からやってくるわけなんだけど。
結局ここでの結末は、求めていたものと違う、平和とは真逆な世界だったのかな。
アライにサムが言ったとされる言葉。「あいつらが戦争をひき起こすんですよ」サムは争いはこういった小さな事から始まる事を、わかっているのかも。
火種はどこにでもある。

ツトムとミチルの両親も、自分達が持つ「理想」の子ども達がいる。
そしてお互いにも「理想」の配偶者がある。

ラストシーン。
サムがツトムを撃つのは、サムという「現実」がツトムという「理想」と戦った印象。
戦争も結局同じで、互いの国が持つ理想や平和を押し付け合うからこそ生まれる。そんな気がしているので。
戦争というものの縮図だったのかな。そして人によって平和の定義は違うから、争いって絶えないのかな。


矛盾点も多いし、つまりは何が言いたいのか?って感じですが。まぁあくまで感想と思って貰えれば。

残り2公演観れるから、楽しみだなぁ〜〜